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スタッフ紹介

ASAKO KISHI

ASAKO KISHI

 

BCP認定フォトグラファー、代表取締役、創設者、岸あさこの、乳がんの手術前の経験がどのようであったか、ご紹介させていただきます。

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2017年の冬に、入浴中に自分でしこりを見つけました。ひやっとしました。ああやってしまったと心の中で呟きながらも。。また人生に大きな問題発生か。。もう神様勘弁して。最初はそう思いました。

 

これ以上の言葉は、その時は出ませんでした。

 

しかし、とにかくこれはまずいことになったと、スグに検査ができるクリニックを探しました。翌朝にお電話をしたところ、明後日なら検査が可能とのことで、受診しにいきました。

 

正直、これはまずいと、自分で感付いていた気がします。

 

マンモグラフィの検査中、無理やり挟まれるその痛みに涙し、二方向目は拒否してしまいました。しこりがあるのに、ぐいっと無理やり押しつぶされることが耐えられなかったのです。すると、検査技師さんから『しこりが写ってますよ!』と、しかめた表情でおっしゃいまして、これは、なにか二重にとてもショックな出来事でした。

 

その日は、確定診断がでなかったものの、ガンの可能性を否定できないとの診断で、呆然と頭真っ白となるなか、帰宅しました。落ち込みといったらいいのか、パニックな自分を、冷静なもう一人の自分が支えていた、そんな感覚でした。

 

数日後の針生検後の結果を聞きに受診するその日は、覚悟を決めていました。冷静でいられるよう、自分を慰めていました。例え、がんでも、わたしは動揺しない。大丈夫だと、言い聞かせていました。

 

当時、博多で一人暮らしでした。検査中の段階で、関東にいる家族にはまだ伝えることはしませんでした。

 

2週間後、針生検の結果をききに受診しましたが、よくわかりませんでしたとの説明を受けました。

 

え??、意を決して受診したのに、病理結果がでない、わからないって?は?意味がわからない。そんな思考がぐるぐる頭の中を駆け巡ったのか、診察室でしばらく無言になってしまいました。

 

みたことがないような、珍しい結果で、病理医でもはっきりとしたことが出せていないけれども、顔つきが悪い細胞があるような気配もあって、これは手術で腫瘍をとって調べるしかないとの結論でした。良性の可能性も否定できないと言われました。ものすごい悪いか、良性かのどちらか。悪性だろうと自分の中ではありましたが、メランコリーな状態というのは、しんどいですね。

 

病理のプレートを郵送し、わたしは電車に揺られ、駅でタクシーに乗り継ぎ、片道2時間半ぐらいかけて、病理のセカンドオピニオンを受診しました。正直、こんなセカンド受診すら珍しいわけですが、最初の病理結果がわからないと言われてしまっては、不安ばかりでしたので、仕方がありませんでした。


1時間近く、丁寧にご説明いただけましたが、やはり、悪性の可能性がハーフだけれども、悪性であれば、とても珍しく、かなり悪い乳がんを否定できない、覚悟しなければならない、そんな文脈でした。

 

手術では、悪性の可能性を考えて大きく切除と説明されましたが、いきなりすぎて、受け入れられずに、部分切除としていただきました。2度の手術を覚悟してと言われていましたが、これについては頷きました。

 

なにか、人生の希望も失い、すべてが終わっていくような感覚でした。

 

どうやってこの戸惑いを律し、自分の脚の力で立って歩けというのか。とにかく、怖くて、悲しくて、孤独で、死ぬなら早くすべての昔の友人たちに会いにいって、理由もなく、これまでの無礼をどうかお許しくださいと伝えて回ろうと、そう考えていました。弱気な状態というのでしょうか。

 

手術前には看護師さんから色々と当日の説明を受けましたが、術前のあらゆる検査があまりにも辛かったです。造影MRIやCTは血管内を造影剤が流れていくのがわかり、本当に気持ち悪いですね。

 

手術は全身麻酔。誰かの保証人サインが必要です。いよいよ家族にいうしかないので、正月に東京へ行き、母に伝えようとしたら、なぜか真央ちゃんがね、などと話を始め、タイミングが悪すぎて、如何しようも無かったです。私は真央ちゃんの話なんて怖すぎて100%聞きたくもないのに。ああと、思いながらも、仕方がなく手術の説明をしましたが、気がとても小さい母に話が大げさに伝わってしまって倒られたら困るので、ぜんぜん心配いらないからとだけ伝えて病気の話題は終了させました。羽田の飛行機の搭乗口では、ワイドショーのテレビが流れ、がんの報道。見たくも聞きたくもないので、出来るだけ遠ざかり、耳を塞ぐしかないのです。この信じられないぐらい大きな不安や、恐怖や孤独な気持ちは、だれにもわからない。ワイドショーは、なんて残酷なんだろう。こんなに情報で弱者を脅かしてと、そう、心の中で思っていました。

 

話が長くなりますので、ここまでにしますが、わたしは、不安と向き合い楽に構える技術、ストレスをなくす技術を自分なりに開拓していきました。いまでも、こまめに解消するように、明るくすごすようにしています。

 


手術の結果、がんの状態は、手術前に説明されたほどまで悪くありませんでしたと、解釈しています。
 

 

当時、これから治療を受ける私にとって会いたかった人とは、治療も不安も超えて、何かから飛び抜けて今を元気ですごしていて、明るい兆しとパワーを感じる笑顔が素敵な人でした。それでけで、自分の未来も安心だと思えたのです。

 

ですので、そのような環境を、私もみなさまにご提供できるよう、皆様が勇気や希望が湧き出て、元気となっていただけるよう、そうしております。

 

一方で、今、とても感じているのは、外科的な治療だけでなく、内科的な治療や放射線治療によって、乳がん女性の手術跡、胸の形、大きさ、体型までもが、徐々に年単位で変化していくことです。少しずつですので、数ヶ月では気がつきません。まだこれから結婚などをお考えの方などは、特にアピアランスの変化が大きな弊害に感じてしまうかもしれません。


だからと言って、医療は欠かせませんが、これは、当初に予測できなかったことなんです。

 

どの手術の種類を選んでも、メリットやデメリットがあるため、何が良いといった判断ではないですが、あのとき、こうだったらとこうしていたらと、後から後悔することは、タイムスリップして直せない。そう思っています。
ですので、
私自身も、もう少し前に、スマホで自撮りではなく、きちんとしたお写真を撮影できていたらよかったと後悔していますので、胸の撮影のプロフェッショナルにお任せして、綺麗な体のラインや形を上手に出したお写真を撮っておくことを、おすすめいたします。

わたしが、みなさんのお写真を、そのように撮影して自信をもって残しているからです。

お読みくださいまして、どうもありがとうございました!

MIKI FUKAGAWA

MIKI FUKAGAWA

 

スタッフで、笑顔が輝いている深川さんの乳がん治療のご経験や、お気持ちがどんなであったか、またこれから関わっていく乳がんの方々に、どんな想いでいらっしゃるのか、お聞きしてみました。

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MIKI>
こんにちは。スタッフの深川美希です。

 

インタビュアー>
よろしくお願いします。まず、美希さんの、乳がん診断時期はいつでしたか、お聞かせください。

 

MIKI>
2018年6月9日に、マンモグラフィ(レントゲン)と超音波検査を受けて、13日に針生検をして、その2週間後に告知を受けました。

 

インタビュアー>
その頃は、どんなお気持ちでしたか?

 

MIKI>
自分が乳がんになるわけないと思っていましたが、触れるしこりが普通じゃないとは感じていて、でも良性かもしれないと、半信半疑でした。ですので、最初に乳がんの診断を受け入れるのに、少し時間がかかりました。検査結果を待っている時間が、とても辛かったですが、告知を受けた時は、あまり実感が湧かなかったです。

 

インタビュアー>
そして、手術はいつでしたか?


MIKI>
8月31日でした。

 

インタビュアー>
手術前は、どんな気持ちでしたか?


MIKI>
全身麻酔が初めてで、恐怖でした。手術前は、1日1日を大切にしたりとか、好きなことを今のうちにしておこうとか、毎日を大切に過ごしていました。

 

インタビュアー>
内科的な治療中は、どんな経験をしましたか?

 

MIKI>
抗がん剤をしなきゃいかないと言われた時は、本当にショックでした。乳がん告知より辛かったかもしれないです。

抗がん剤1回目のあとの副作用が、吐き気と食欲不振、下痢で、3日間で5キロも痩せてしまい、貧血も出てしまいました。歯科で倒れてしまったこともありました。2クール目からは、味覚障害も出ました。足のむくみが、後半ひどく、階段が辛かったです。副作用では、脱毛が一番ショックでした。2週間後から、どんどん抜けはじめ、美容院でバリカンで刈ってもらいました。

もともと人が好きで、人と関わることが好きなのに、誰にも会いたくないという時期もありました。

 

インタビュアー>
乳がんの治療を通して、よかったことはありますか?

 

MIKI>
周りの人たちへの感謝の気持ちが芽生えたことです。あたりまえなことがあたりまえではないことに気がつくことができました。普通にできることが、ありがたいことだと思えるようになりました。

乳がんを通して、乳がんの方々や、様々な人とのご縁が増えて、とても意味があったと思っています。

わたしは病気になっても好きなことができていました。抗ガン剤治療真っ只中、

ウィッグを被り参戦した、ミスチルの『重力と呼吸ツアー」コンサートへいったり、友人と会ったり、美味しいものたべたり、家族との関わりであったり。失う事ばかりではありませんでした。

それから、生活習慣を見直すことの大切さを、がんを通して再確認できたことは、よかったです。

 

インタビュアー>
今、悩んでいることはありますか?

 

MIKI>
内科的な治療がひと段落した今も、再発という恐怖の闇に引きずり込まれることがあります。わたしは、手術前から睡眠薬がないと眠れませんでしたし、健康な人を羨ましく思ったり、何気ない一言に傷ついたりすることもあり、常に病気が隣にあります。でも、家族や、同病の人との関わりで、救われています。

 

インタビュアー>
撮影に来ていただく方々に、どんなお気持ちをお持ちですか?

 

MIKI>
同じ経験をしている者として、辛いお気持ちを少しでも取り除いてあげられたらと思います。
がん患者同士が仲良くなれるのは、同じ経験をするからです。ですので、撮影する方々のメンタル面でのサポートができたらと強くのぞみます。みなさまに共感し、思い出に残る写真撮影を通して、これからの手術や治療に前向きに進んでいかれるよう、お手伝いをしていきたいです。そして後々も繋がっていきたいです。わたしは、治療中にSNSでつぶやいたり発信することで、折れそうになった心を保つことができ、救われましたので、私も何かのかたちで、病気の皆様を支えるお役目ができたら嬉しいです。

 

インタビュアー>
ブレストキャンサーポートレート、フォトスタジオでは、どのような撮影になるよう、心がけていらっしゃいますか?


MIKI>
撮影された方々の、来られた時と帰るときの表情がすごく変わる、変化するその姿を毎回目の当たりにでき、ものすごく幸せなんです。
本当ににありがとうございます!とか、治療頑張ります!と、みなさんがおっしゃってくださって、皆さん、本当に決意されたんだなーと思い、とても嬉しいです。

乳がん治療は、女性にとって大事なものが失われていきます。胸や、生理や、髪や。。けれども、

撮影ではお姫様気分で、綺麗に撮影されくださいと思います。やっぱり、女性ですから!

そして、お気持ちを整理し、自信をもって前向きに決意をされて、次のステップへ強く歩み出すきっかけになっていただけたらと思っています!

YOSHIMI MIYASHITA

YOSHIMI MIYASHITA

ボランティアスタッフの、YOSHIMI MIYASHITAさん(ピンクリボンアドバイザー中級)の、乳がんの手術前や後のご経験がどのようであったか、インタビューさせていただきましたので、ご紹介します。

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2018年の7月上旬でした。

 

会社の健康診断があって、エコー検査を受たのですが、

その時に検査技師さんから、しこりが右に2つあると言われました。

 

父方のおばさんが乳癌でしたし、母方の祖母も乳癌だったので

身近な病気なこともあり、もしかして。。と思いました。

 

マンモのレントゲン検査は、前年に受けていなかったのです。

 

その時点で検診の医師からは心配いらないと言われましたが、自己判断で、1ヶ月後に乳腺クリニックを受診し、検査を受けました。

 

その後、針生検まで受け、がんの告知となりました。

 

仕事をしていたので、手術を受ける病院先は、同じ通勤路線上で通いやすいこと、形成外科が入っていること、乳がん以外の他の病気も同時に診てもらえるような総合病院であること、この3つを条件に選びました。

 

仕事を辞めるつもりはなかったのです。

 

その当時、ものすごく色々と、ネットや本で医学的根拠がある情報を調べていたのですが、

 

どこかに、

”最終的ゴールは、手術前と近い生活ができるようになること”

と書かれていて、すごくショックでした。

 

つまり、手術前と同じには戻れないのかと思いました。

 

楽しいことはもう、何もないのかと。

 

 

手術前には、いままであった当たり前だったものが、なくなってしまうと思っていました。

自分は自分なわけで、生きていかなくてはならない。仕事しなくてはならないし、日常は変わらない。
当時は、ベットの上で、タブレットで胸の自撮り写真をとりました。

 

そして、手術を受けました。

全摘+同時再建術後、違う自分になっていました。

 

自分自身は変わらないけど、変わった自分を受け入れなければならなりませんでした。

 

写真スタジオでの撮影は、

気持ちの切り替え、自分自身でけじめをつける、受け入れるためでもあり、

それをきっかけにして、おまじないのような気持ちの効果や、切り替わりができるのかと思います。

 

わたしは、エキスパンダーからインプラントへ替えた後にBCPのスタジオで写真撮影を受けましたが、生まれ変わり、違う自分、これからの私。自由な私。開放感を感じました。

 

私は以前からすごく旅行が好きで、同じ国ばかりいっていました。けれど、

違う国にもトライしてみようとおもうようになりました。

 

生きているのだから、もっと視野広げて、やったみたら面白いと思いました。

今までに興味がなかったエリアにも挑戦しようと思いました。

 

自分は大丈夫だと思いながらも、どこかでもしも、がんが再発したら、と常々思っています。

少なくとも、癌宣告をうけた人は、受けてない人と比べると、死ぬまでの時間が漠然としているかどうかが、まったく違うと思っています。

 

がん告知された人は死のことも、少なからず考えるわけで、

 

それだけでなくて、私はホルモン療法で骨密度が下がっていて、もしも骨折でもしたらと、自分の体が動かせる期間を考えたら、ぼちぼちしていられないと思いました。今、行きたいところに行こうと思いました。

 

現在は、術後で、重たいスーツケースを患側の手で持つことはできないけれども、

荷物を減らして、友人と一緒に海外旅行に行きます。

 

旅行中、もしもインプラントが感染症を起こした場合のことも考えて、抗生物質を持っていきます。転ばないように気をつけながら。

 

 

今、がんの告知を受けている方々は、がんという言葉に負けないで!と伝えたいです。

 

 

がんだからできないといった発想は、しなくても大丈夫なんです。

 

TAJIMA

TAJIMA

 

スタッフの、TAJIMAさんの、これまでの乳がんのご経験がどのようであったか、ご紹介します。

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赤坂スタジオ、代官山スタジオにてスタジオマンとして計4年働き、その後音楽系カメラマンの岡田貴之氏に師事しました。

 

岡田氏のアシスタントをしている最中に乳がんが見つかり、仕事を辞めて治療に入りました。 今から15年前の27歳の時です。

 

手術、放射線、抗がん剤、ホルモン治療を終えて、15年たち、もうがんになる事はないかな…と安心していたところ、今年4月に新たな乳がんが見つかり、今は術前の抗がん剤、手術、放射線まで終えたところで、ホルモン剤を飲みながら、術後の抗がん剤が始まります。

 

今は子育て中ですが、以前から人の役に立つな仕事が出来ないかなと思っていました。

 

私の経験がお役に立てるのであれば、この上ない喜びです。

 

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